賀城園の歴史

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賀城園の歴史

賀城園の歴史は終戦直後までさかのぼります。

創業者加藤幸吉は大正九年岐阜県恵那市に産まれ、
昭和二十年終戦後名古屋市熱田区玉の井町、
伏見通沿いに鶏肉販売店を始めました。
正直な商売を心掛け大変繁盛したと聞いております。

昭和二十五年には鶏肉料理屋「鳥幸」を始めます。
この鳥幸が賀城園の前身となるお店です。

また同じ年鶏肉販売店は閉店し、
跡地に洋画専門の青空映画館
「旗屋シネマ」も始めております。

昭和35年頃より現在の賀城園へ

全国の有名な
料亭やお屋敷、
旅館などを巡る

現在の賀城園へは昭和35年頃移転しております。
木造平屋の大きな母屋と庭園を囲むように配置された、いくつかの建物、茶室のある邸宅でした。
賀城園の営業開始にあたり、幸吉は全国の有名な料亭やお屋敷、旅館などを巡り店内や庭の意匠を学んでいったそうです。
その中の一つ東京目黒の料亭に深く感銘を受け店名をその料亭の名をもじり賀城園としたとも聞いております。
幸吉は庭の元の姿にこだわり、木が枯れた時は同じ木を同じ場所に植えることを徹底し、むやみに切ることをしませんでした。

庭の基本設計は
日本画家
伊勢門水に
よるもの

その一方、自身でも京都伏見より大きな石を買い入れたり、庭園に点在した建物を廊下でつなげ、その先に岩風呂を増築したりなど積極的に変えていった部分もあります。
庭の基本設計は江戸末期から明治にかけ活躍した日本画家「伊勢門水」によるものです。
高低差のある土地を利用し庭園内に川の流れるさまを再現しその流れの傍らに茶室を設けております。
賀城園の離れにある椎の木も明治期に植えられたもので現在では賀城園を見守る御神木としております。

創業70年を迎え三代目の時代へ

古くからのお客様からは岩風呂の事とともにクジャクについてもお話に上がります。
幸吉は、自身の成功は鳥から頂いたものと考え非常に大事にしており、当時自宅マンションにたくさんの珍しい鳥を飼っておりました。
そしてとうとう賀城園の庭にもクジャクを放し飼いにしてしまったのです。
クジャクの美しい姿を見ながら食事をするとは当時のお客様方も大変びっくりしたことと思います。クジャクはその後九州の動物園に寄付しております。

もう一つ、幸吉の逸話があります。
当時宴会には芸者さんなどが呼ばれることが常でしたが、そこで踊る芸者さんたちを見て幸吉は自己流で踊りとメイクと着付けを覚えお客様の前で踊るようになったそうです。
幸吉はその後、次第に仕事を二代目の小栗栄太郎に譲っていきますが、バスでの送迎や当時珍しかったカラオケの全室導入等の改革を行っていきました。
現在創業70年を迎え三代目の時代となっております。これからも枠にとらわれない改革と、お客様に安心してご利用頂けるサービスを提供し100年企業を目指しております。